戻る

旧アンタナス・ジュムイジナヴィチュス画伯の家

7°C
V.プトゥヴィンスキョ通り64番地, カウナス
聞く
ルート

1931年、市内中心部の旧ミシュクー通りに、重要な戦間期の社会活動家ヴラダス・プトゥヴィンスキスの名前が付けられました。第一次独立期間中、ここには、多くの外交公館(米国、ハンガリー、スウェーデン、アルゼンチン、チェコスロヴァキア、フランス)がありました。

今日、この通りは、重要なカウナスの文化の中心地になっています。この通りに建つ博物館はいくつかあり、それ以外にも、カウナス芸術家の家やヴィトウタス・マグヌス大学、たくさんのストリートアートがあります。ここからジャリャカルニスやライスヴェス通りへ行くルートがあります。また、この外交通りの散策は、モダニズム建築の「グルメ」にとっては、本物の「デザート」と言えるでしょう。是非、ご覧ください!

戦間期に最も活躍した建築家の一人であるヴィトウタス・ランズベルギス・ジェンカルニスの重要な足跡は、V.プトゥヴィンスキョ通りにあります。1928年に画家アンタナス・ジュムイジナヴィチュスのために設計されたこの家は、ローマで勉強を終えたばかりの建築家が、カウナスで最初に設計したものの一つにあたります。建物の3階は、10年後に増築されました。

V.プトゥヴィンスキョ通りを歩くと、建物の「波打つ」窓枠に視線がとまります。建物の中庭も興味深く、ジャリャカルニスに向かって傾斜した庭には、2つのテラスがあります。

建物の1階には、一時、スウェーデン領事部がありましたが、それは、ヘンリー・ジョージ・ウィリアム・パーランドが猩紅熱にかかり、亡くなるまでの短い期間だけでした。スウェーデン系フィンランド人作家兼ジャーナリストだった彼は、大使館で書記官として働きました。記念プレートには、リトアニア語、フィンランド語、スウェーデン語の3言語でそれについて紹介されています。

A.ジュムイジナヴィチュスの妻は、マリヤ・プトゥヴィンスカイテでした。彼女は、通りの名前になっている銃卒ヴラダス・プトゥヴィンスキスの妹です。彼女は、歯科医で、自宅に設備を入れ、歯科業を営んでいました。アンタナス・スメトナ大統領の治療にも当たっていました。

この建物で、悪魔のコレンクション品収集が始まりました。それを最初に始めたのは、自分の友人に悪魔をプレゼントしたヴァイジュガンタス司祭です。A.ジュムイジナヴィチュスの没後、1966年に、ここに彼の作品やコレクション品を展示する博物館がオープンしました。画家は、全財産を国に寄付しました。間もなくすると、記念館やアトリエも公開されました。そこでは、多くのオリジナルの家具や内装をご覧頂けます。現在の悪魔博物館の建物は、1982年に増築されたものです。

2015年、欧州委員会は、この画家の家を含む44のカウナスの戦間期モダニズム建築物を欧州遺産ラベルに指定しました。

旧アンタナス・ジュムイジナヴィチュス画伯の家

V.プトゥヴィンスキョ通り64番地, カウナス

1931年、市内中心部の旧ミシュクー通りに、重要な戦間期の社会活動家ヴラダス・プトゥヴィンスキスの名前が付けられました。第一次独立期間中、ここには、多くの外交公館(米国、ハンガリー、スウェーデン、アルゼンチン、チェコスロヴァキア、フランス)がありました。

今日、この通りは、重要なカウナスの文化の中心地になっています。この通りに建つ博物館はいくつかあり、それ以外にも、カウナス芸術家の家やヴィトウタス・マグヌス大学、たくさんのストリートアートがあります。ここからジャリャカルニスやライスヴェス通りへ行くルートがあります。また、この外交通りの散策は、モダニズム建築の「グルメ」にとっては、本物の「デザート」と言えるでしょう。是非、ご覧ください!

戦間期に最も活躍した建築家の一人であるヴィトウタス・ランズベルギス・ジェンカルニスの重要な足跡は、V.プトゥヴィンスキョ通りにあります。1928年に画家アンタナス・ジュムイジナヴィチュスのために設計されたこの家は、ローマで勉強を終えたばかりの建築家が、カウナスで最初に設計したものの一つにあたります。建物の3階は、10年後に増築されました。

V.プトゥヴィンスキョ通りを歩くと、建物の「波打つ」窓枠に視線がとまります。建物の中庭も興味深く、ジャリャカルニスに向かって傾斜した庭には、2つのテラスがあります。

建物の1階には、一時、スウェーデン領事部がありましたが、それは、ヘンリー・ジョージ・ウィリアム・パーランドが猩紅熱にかかり、亡くなるまでの短い期間だけでした。スウェーデン系フィンランド人作家兼ジャーナリストだった彼は、大使館で書記官として働きました。記念プレートには、リトアニア語、フィンランド語、スウェーデン語の3言語でそれについて紹介されています。

A.ジュムイジナヴィチュスの妻は、マリヤ・プトゥヴィンスカイテでした。彼女は、通りの名前になっている銃卒ヴラダス・プトゥヴィンスキスの妹です。彼女は、歯科医で、自宅に設備を入れ、歯科業を営んでいました。アンタナス・スメトナ大統領の治療にも当たっていました。

この建物で、悪魔のコレンクション品収集が始まりました。それを最初に始めたのは、自分の友人に悪魔をプレゼントしたヴァイジュガンタス司祭です。A.ジュムイジナヴィチュスの没後、1966年に、ここに彼の作品やコレクション品を展示する博物館がオープンしました。画家は、全財産を国に寄付しました。間もなくすると、記念館やアトリエも公開されました。そこでは、多くのオリジナルの家具や内装をご覧頂けます。現在の悪魔博物館の建物は、1982年に増築されたものです。

2015年、欧州委員会は、この画家の家を含む44のカウナスの戦間期モダニズム建築物を欧州遺産ラベルに指定しました。

コメント

送信
送信されました!